★ マスターズオーケストラin京都 ★

2021年7月 8日

オリンピックは誰のため?政治家のため?

オリンピックは必要?
私はテレビもニュースも見ないことにする。
オリンピックができて、なぜ子供の運動会が中止。市民マラソンが中止。市民のイベントが中止?
でも、オリンピックはやる。政治家の資金集めパーティーはやる。役人の送別会はやる。

日本を応援するか?
ばかげている。
自民・公明・維新が自分の手柄を誇りたいがためにやるんでしょ。

この種のイベントが政治家の手柄のためだけに、ばかげた税金を費やすものだということがわかった以上、オリンピックは廃止すべき。

競技者がうでを競うのは、それぞれの世界大会があればよい。
「日の丸を背負って」とかいう、国粋主義的な、独裁主義者に利用される国威発揚的なイベントはやめるべきだ。世界の害悪だ。
大阪万博なんて愚の骨頂。使い道がなくなった「舞洲」が何かの役に立つことを、維新の政治家、橋下や松井、吉村がいいたいだけ。

スポンサー言いなりの新聞・テレビに知性のかけらもない。
金さえもらえれば、なんでもスポンサーの意に沿うことをべらべら芸人を使って、イメージ操作しようとする。

ワクチンで死んだ人が現実にいるのに、役人と医者は「因果関係は不明」で済ませる。
どうして国や役人を信じられる?みんな嘘つき。
日本国民は牛豚のような「家畜」?
日本の指導層は日本人を「金魚」くらいにしかかんがえていないんでしょ。

科学は、自分たちの主張をごり押しするときのいいわけ。スパコンのシミレーションっていっても、モデル化があてにならないなら、どれほど高速計算しようが、結果は完全に無意味、有害。
そんなことは、コンピューター・シミュレーションをやった人間なら誰でもが肌身で知っている。計算速度があがることは、何も意味しない。「富岳」とかいう名前をメディアが出して、市民をだまそうとしていることに強いいきどおりを感じる。
自分の主張にあうように計算結果をだすことなんて、お茶の子さいさい。
ばかばかしいくらい、いとも簡単に。
科学がこれほど権力者に恣意的に利用される世の中はおかしい。

2020年12月30日

科学が自然の強大さに屈服した年

ある報道にこうあった。
「メルケル首相は、12月9日の連邦議会における演説で拳を振り上げながら感情を爆発させ、「科学的な知見に基づく政府の指示を軽視する市民への強い苛立ちと失望感」を表明した。悪いのは、能書き通りの結果を出せない科学やリベラルエリートではなく、エリートの命令に従わない非科学的で反知性的な愚衆であるというわけだ。」

科学を信奉する者たち、知性を信奉する者たちが、今年ほど自分たちの信じるポリシーが自然の前に無力であることを思い知った一年はなかったのであろうか。
人間のもつ知力は限界だらけだ。
にもかかわらず、科学によってすべてを支配しているという人間の傲慢さが何をもたらすかを、現状は残酷なまでにあらわにしている。

科学も、なによりも西洋医学は万能ではない。
一年もたって、何の効果的対策も打てないのが西洋医学である。

科学を巡る混乱は、政治が象徴している。
政治家はことごとく無能であるが、それは政治家の無能さが、イコール、誰か専門家という集団を隠れ蓑につかっているだけのこと。
どこかの学校の執行部も同様である。「あとは野となれ、山となれ」。役所が指示するまで、他校が何かするまで横並びでいけば、非難されないですむという思考停止。

2020年5月16日

医学が国を滅ぼす

最近、医学批判の本をたくさん読んでいる。話の筋はだいたい同じ。著者のほとんどが現職の医者である。しかし、客観的データをもって説得力があるのは、大々的に批判されている「近藤誠」の著書くらい。近藤誠ほど、医学界から敵視されている人物はいないが、それだけ根幹の部分を批判しているからであろう。

私は「医学は科学だが、医療は科学ではない」と書いた。しかし、「医学は科学ではない」米山公啓という本すらあることに驚いた。ちなみに、読み終えた他の本としては、「医療幻想「思い込み」が患者を殺す」久坂部羊とか、「医療が病いをつくる―免疫からの警鐘」安保 徹、「過剰診断: 健康診断があなたを病気にする」ウェルチ,H.ギルバートなどなど多数。
現代医学肯定側の本も読んでいるが、これらはほとんど病理医や病理学者の作で、おおむね自分の仕事を自画自賛するものである。
いろいろ読んで思うのだが、真実はおそらく不明であろう。肯定側も否定側も自分たちの有利になる論証に腐心している。

ひとつだけ確かなことがある。医学も医者も病院も、しょせん人間である。しょせん、人体という複雑な対象に対して、無力きわまりない存在である。現代医学の歴史など、何万年以上の人類の歴史にくらべて、たかが300年あるかどうかでしかない。そんな医学や医者や病院を頼りにしたり、だまされたりする我々が悪いのである。詐欺師も悪いが、だまされる側もそれなりの弱さがあるから、だまされるのである。
無視したらいいのである。
コロナ騒動のさなかにいて、つくづく感じる。医者たちはあまりに無力で、かつ、いい加減である。ノーベル賞をとったYamaという人物ですら「走るときにマスクをしろ、しかし自分は息苦しいからネックウォーマーで走る」とか支離滅裂なことを新聞で言っている。ノーベル賞学者といってもその程度である。別に人智を超えた天才ではない。狭い専門領域以外は、あきれるほどの素人である。
実態がそんな状態だから、政治家がパフォーマンス合戦をする。それに便乗するにしても、沈黙するにしても、正論らしきことを言っている意見は聞こえてこない。専門家は、総じて「後出しじゃんけん」をしようとしている。
医者に国をまかせたら、国民は滅びる。
ウィルスを根絶する前に、国民が全滅する。がんの治療と同じ。
がんを殺すために、患者を殺しているのが現実。
病院で医者がやっているのは、ガイドラインというただのマニュアルに書かれた「作業」。
「作業」なんだよ、患者がやられているのは。
医者は、ただの訓練された職人。科学でもなんでもないし、えらくもなにもない。
ただの役にたたないクソ。
みんな、偏差値コンプレックスを捨てよう。
医学部に入るのは、難しい。頭がいい。東大医学部なんて天才の集団だ。
君たちよりはそうかもしれない。しかし、生物という、想像を超えた複雑さの前では、偏差値上位者といえども、幼稚園児並みのばかばかしいほどの無力さをあらわにする。彼らを信じてはいけない。
ノーベル賞?
ばかばかしい。ただの一発屋のまぐれ当たりだ。くだらない。
人間は、自然に対して、はるかに劣っている。

2019年10月24日

スズメバチ来襲。やっぱり医者は不要だ

先週、花背トレイルランという大会に出た。道もない、山の中を走り回るスポーツである。話は、スポーツではない。スズメバチである。
10キロを過ぎた頃、前を走るランナーがなんか変な動きをしているなと思ったら、左手首に「いたっ」と刺激。見ると、でっかいハチがいる。手をふっても何をしても離れない。すると、ふくらはぎに激痛。また、ハチ。もう、これげまわって振り払う状況。そのおかげで、すでにやばかったあちこちの筋肉が同時けいれんをおこしはじめた。
もうアウトである。リタイアはよいのだが、ここからが、この長い日曜日の本番である。
スタッフの車で中継場所に戻してもらったが、すぐに救急車で病院送り。
花背の奥の山から、京大病院まで救急搬送。実は、前の年には試走していたスタッフが大量のスズメバチの攻撃にあい、ヘリコプターで市内に搬送されたとのことである。それはおそろしい。

はじめてハチにさされた。何がおきるかわからない。
とにかく、ジンジン痛い。加えて、ランでくたばって貧血、ぶっ倒れている。救急車はガタガタ、乗り物酔いも状態を悪化させている。何が何だかわからん。

京大病院だが、ここの研修医が最悪にえらそうなガキ。
抗アレルギーの点滴をしろというが、私は注射がきらい。
「いらん」といったら、しつこく説得してくる。いやだというと、家族に連絡して相談しろという。
今は大丈夫でも2・3日後に死ぬかもしれない、と脅してくる。しかし、論理的思考をつきつめると、どうも説得力にとぼしい。
とにかく、いやだというと、最後には、病院として、しなくていよいか上司に確かめるという。「上司?」なんだそれ。科学的客観性と、組織の上下関係とどっちがだいじなんだ。京大卒のくそがき坊主。京大医学部卒のコミュニケーション力はその程度のあほさか。

結果、断り通した。
結果、私は生きている。やはり、医者はただの「恫喝商売」である。
あいつら恐喝魔の言うことを信じて、体に傷をつけられたあげくに金をむしり取られたいやつはそうすればいい。
百害あって一利なしというのが、医者である。

皆も、医者の言うことは、まず疑ってかかり、強くNOと言うくせをつけよう。

2019年5月13日

病院には行くな!

医学は科学かもしれないが、医療(医者が病院で行う行為)は科学ではない。科学の用語を使った呪術である。まじないにだまされたい人だけがだまされればよい。健康診断は、適当なウソを言って、逃げるべきである。私は宗教上の理由ということにしている。

病院で医者がやる行為は、Aという症状があれば、Bという病気だと判断して、Cという薬を渡す、というマニュアル(専門用語でガイドラインという)にしたがっているだけだ。ところが、人間は間違えるし、機械は正確ではないし、マニュアルは巨額の金が動く製薬会社と、製薬会社の接待付けろ権力争いしか頭に無い医学部教授の、まさに「原発ムラ」的なマフィアの組み合わせで実験データも書き換えられている。結果、現場では、C1という薬が効かなければ、C2という薬を使う。それでもだめならC3と患者を実験台に繰り返すだけ。その間の費用は、全額患者に請求される。

ただ、大半の病気に対して、人間は直るようにできている。
インフルエンザはただの風邪。寝てれば1週間で直る。ワクチンは無駄のみならず、危険。熱がでても、それは体の免疫機構が戦っている証拠。無理に解熱剤を飲んではいけない。
ありもしない病気を病気と誤診するだけの健康診断は、百害あって一利なし。X線は低レベルで害がないというが、それでは、なぜ患者だけ残して、技師は遮蔽の外に逃げる。

18世紀のフランスの思想家ボルテール(François Voltaire)の言葉が参考になろう。
「医者というものは、自分でもあまりわかっていない薬を、さらにわからない病気を治すために、人間という何ひとつわかっていない相手に処方するものである。」
(ヴォルテール 「省察と確言」)

私は、21世紀になっても何一つ変わっていないと感じている。

2015年1月 2日

2015年の驚いた

あけまして、おめでとう。

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年末、年始に雪が降るのは、京都市内でも珍しくはない。
結構、記憶がある。
数年前もかなり積もって、2日に京産のあたりまで30キロ走をしたけど、ゴミ焼却所の坂は歩道が雪で、車道しか走れなかった。御所の北の今出川通りも北向きのせいか、雪がとけない。

それにしても、2015年のこれはすごい。
京都が新潟になってしまった。

下に、2014年の送り火の日の豪雨で、鴨川・三条河原が水没した写真をupしたけど、最近の気候はちょっと極端だ。

2014年8月16日

休日の夏の日

2014-08-16 16.53.06.jpg今日は、五山の送り火のある日です。
が、すごい豪雨が昼前からありました。
結果、鴨川は、見たことがない状態に変わりました。いつもは、人でいっぱいの三条河原も水没寸前までなり、立ち入り禁止となりました。
河というのは、本当に怖いね。何時間かで状況が変わる。都会の真ん中でこれだから、キャンプ場で死者がでるのもわからないではない。

2013年4月28日

電子書籍を出版しました

電子書籍を出版しました。
書名は『芸術評論の論証パターン』というものです。

司法試験の受験勉強で使われている論証パターンという方法を、美術評論に応用してみたものです。過去の有名な評論がどれほど、ロジカルに理解可能なものか検討してみました。

500円ですので、買って読んでみてください。

販売は紀伊國屋のウェブサイトのみで行っています。

読むためには、kinoppyというリーダーのアプリ(無料)と、紀伊國屋書店ウェブストア(top page)での会員登録が必要です。

2013年1月29日

2012 芸術評論 講評

今年最後に、新しいネタとして「パスティーシュ」という課題を出しました。最後の時間だったので、みんなの作品を講評をする機会がありませんでした。
課題は、任意の作家の作風をまねて、自画像を描けというものです。当初は、作家の範囲を「画家」と考えていたのですが、あえてマンガ家を含めるように修正出題しました。

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今回、真似る作家として漫画家を含めることとしました。私はこれについて、重大なことを再認識させられました。
画像は提出された作品です。学生は大変上手に描いています。
しかし、多くの場合、作品のなかの登場人物にそっくりになってしまいました。パスティーシュは作品そのものをパクるわけではなく、作風を似せるのですから、趣旨から外れてしまったわけです。
しかし、これは学生のせいではなく、マンガというメディアのもっている特質だと考えられます。ここは、私にとっても想定外の現象でした。
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マンガは、視覚的な速記法のひとつです。つまり、抽象化に核心があります。今回のように、人間の顔であれば、顔の細かい差異を捨象して抽象化していくところにマンガの長所があります。
その反面で、抽象化されたことで、それぞれの人の細かい特徴や表情などが消えるという短所があります。マンガのなかにもたくさんのキャラクターが登場して違った顔をしているはずなのですが、「誰か風」が「○○という登場人物風」と相似形をなしているところが、落とし穴かもしれません。
同じビジュアル・アートであっても、差異を誇張していく「絵画」と正反対の特質をもっているのです。
今回、私がマンガ家を含めたのは失敗かもしれませんが、メディアの特質を再認識できたことは勉強でした。

2006年12月28日

ブログ開設しました

これまでの「知りたい塾」のホームページを、ブログ形式に変えることを試みています。
出来合いのブログではなく、Movable Typeを使って、自分で組み立てているので、まだ不自由です。