美術評論演習 レジュメ

§ 「セザンヌの構図(Cézanne's Composition)」, Erle Loran

1 構図の分析

1-1) 問題の所在

ポール・セザンヌ (Paul Cezanne、1839年1月19日 - 1906年10月22日)は、難しい画家である。どこが難しいのかよくわからないところが、難しいのである。「近代絵画の父」と言われ、一般的にキュービズムへの道を開いたと評価される。

しかし、その絵画は、一見しただけでは、ごく普通の絵画にさえ見え、どこにそれほどの歴史的意義が隠れているのか判然とはしない。これは、同じポスト印象派のゴッホやゴーギャンが、明瞭な特質を認識できることと大きく異なる。

では、セザンヌ絵画の意義は、どこにあるのか。

これを構図という、きわめてテクニカルな視点から、分析を試みたのが、ローランの著作である。

1-2) ローランの分析手法

アール・ローラン(Erle Loran, 1905年10月3日 - 1999年5月13日)は、カリフォルニアを中心として活動した画家であり、カリフォルニア大学で絵画を教えた教授でもあった。彼は1926年から4年間のフランス留学中、セザンヌの作品に魅了され、3年あまりをかけて、セザンヌの描いた風景を見て歩いた。このときに撮影した写真が、ここでとりあげる「セザンヌの構図(Cezanne's composition)」(初版は1943年)という分析の基礎となっている。

そもそも、ローランは評論家ではなく、画家である。そのため、本書の分析には、画家による視点が強く表れている。美術評論家のテキストには、しばしば、冗長でレトリカルな表現が見られる。しかし、こうした部分がないため、要点が完結に説明されているように感じられる。

ローランの分析は、主に、二つの方法によっている。一つは、セザンヌの絵画をトレースし、輪郭や濃淡などを図式的に抽出する方法である。さらに、風景画については、モチーフとなった場所を、絵画と同じ視点から写真撮影し、相互を比較する方法である。

たしかに、近代絵画においては、風景画は外界をトレースするものではなくなっている。しかし、あえて写真と絵画を比較する方法によって、ローランは、セザンヌに特有な「歪み」のクセを読み取ることに成功している。

2 ローラン説の論証カード

2-1) セザンヌの絵画における、画面構成上の特徴

3 原文要約 「セザンヌの構図」

3-1) 目次から

ローランは、構図を分析するにあたって、さらに次のような視点を出している。これは、目次の構成に端的に表れている。

  • 透視図法 (Problems of Perspective)
  • 大きさ・空間 (The Problem of Scale and the Control of Volume and Space)
  • 視点によるゆがみ (Distortion through the Shifting of Eye Levels)
  • 軸の倒れ (The Problem of Tipping Axes)
  • ドローイングの歪み (Distortion in Drawing)
  • 空気遠近法 (Aerial Perspective)
  • リアリズムと抽象化 (Realism and Abstraction)
  • 3-2) 分析例

    ローランによる分析のいくつかをみていこう。

    3-2-1) 垂直軸の倒れ
    Diagram by Loran , p85
    Madame Cezanne 1885-87

    人物画や風景画などジャンルを問わず現れている特徴が、縦軸の左方向への倒れである。上のセザンヌ夫人の肖像画でも、ダイアグラムの太いAのラインで示されるように、軸が左へ倒れ、符号Bで示されるように、画面右端から距離をとっている。これによって、画面にテンションが生まれている、という。

    ローランは、さらに重要な点として、背景の壁と思われるラインに着目している。すなわち、人物で二分された左側の線を延長すると、少しだけ右側の下に到達し、人物の背後で段違いが生じている点(ダイアグラムの点線部分)である。ローランは、人物像が左に倒れたため、背景を右回転させてバランスをとろうとしたが、さらなる微調整を背景の壁面の線を段違いにすることによったと指摘する。

    3-2-2) 複数の視点(eye level)の、一画面への導入
    Diagram by Loran, p77
    Still Life with Fruit Basket, 1880-90

    ローランの重要な指摘のひとつに、複数の視点を一つの画面に取り込んでいることがある。たとえば、上の静物画を例にとると、机の上の白地の瓶を見ている視点を基準にすると(ダイアグラムでは視点T)、その向こう側の広口の瓶は、開口部の円から推測する限り、少し上からの視点をとらなければならない(視点U)。すなわち、視点が少なくとも二つ、同時に存在している。

    また、フルーツの入ったバスケットについては、カゴを正面からみた視点を基準とすると(ダイアグラムではTa)、取っ手の見え方から推測する限り、視点Taよりも、右側に移動しなければ、こういう開き方には見えない(視点Ub)。すなわち、物体の周りを、人が歩きながら見ているような効果"Seeing around"がある。ローランは、ピカソ後期絵画の正面と側面を同時に描く事例を、想起している。しかし、ローランは指摘していないが、"Seeing around"という効果や、多視点の併存、いいかえれば、単一の透視図法的な視点の放棄は、近代建築の論考ではモダニズムの大きな特徴としてあげられている(cf 「空間・時間・建築」、S・ギーディオン)。

    そのほかにも、この絵については、白地の瓶の軸が左方向に倒れている点(ダイアグラムのb,c)や、手前の布で意図的に隠されているように見えるが、机の前面のラインが不連続になっている点(ダイアグラムのC。絵の通りだと信じると、ダイアグラムのように、この机の上板の平面は長方形でなく、段違いになっている)などの、セザンヌの特徴的な手法が指摘されている。

    3-2-3) 透視図法の絵画的修正
    Photo of the motif, p52
    Diagram by Loran , p53
    Jas de Bouffan, 1989-90

    ローランは、セザンヌの絵画の題材となった場所を探し出し、写真をとっている。愚直ともいえる方法だが、大変に時間と労力のかかった作業であることが想像される。

    上の風景画で、まず気がつくのは、すでに指摘したのと同じ傾向である、縦軸の左側への倒れ(家を見よ)である。次には、線的透視図法が、修正されていることに気づく。写真の右下にのびている石壁に注目しよう。絵では、手前ではなく、真横に走るように変更されている。これによって、石壁面Aと建物面B、後方の山の面Cに、画面構成上の関連性が生まれたという。

    絵画史の大きな流れは、古代・中世の二次元性から、ルネサンスの透視図法以降の三次元的表現の精緻化を経て、近代では、空間認知の再構成を通じて、二次元性を再評価している。画面ABCがいずれも正面性をもって、薄い奥行きの中で重なっている様子は、キュービズムと同じ原理である。

    3-2-4) 大気(空気)遠近法の排除
    Renoir Montagne Sainte-Victoire,1889
    Cezanne Montagne Saint-Victoire

    上は、ローランが比較のために例示した(p100)、ルノワールとセザンヌが、ほぼ同じアングルから描いたの「ヴィクトワール山」である。

    大気(空気)遠近法とは、遠近感を出すために、遠くにあるものほど明るく、青みがかった色で、輪郭もかすんだ調子で描く方法をいう。ルノワールの場合、文字通り、大気遠近法にしたがって、遠くにある山の姿を描いている。しかし、セザンヌの場合には、遠くにある山の姿をかえって、大きくはっきりと描いている。