§ 「モダニズムの絵画」("Modernist Painting") 講読
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1 背景
1-1) グリーンバーグとは?
クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg; 1909年1月16日−1994年5月7日)は、アメリカの美術評論家である。
彼の存在は、『アヴァンギャルドとキッチュ(Avant Garde and Kitsch), 1939』で知られるようになる。モダニズムに関する重要な論考を残している。というよりも、芸術世界でのモダニズム運動の中心人物の一人だったといえる。
ここでは、グリーンバーグの考えていたモダニズムの具体像を読み取ってみたい。
2 グリーンバーグ説の論証カード
2-1) モダニズムの絵画における意義
2-2) キッチュの優位性の理由
3 原文要約 『モダニズムの起源』
以下は、『モダニズムの起源』という評論を、パラグラフごとにまとめたものである。
- (p48) 「モダニズム的な」という語は、「古典主義的な」、「ロマン主義的な」という語と同じようには使えない。モダニズムが時に束縛されており、歴史的に特殊なものだから。
- モダニズムがいつ始まったかを言うのは容易でない。
- (p49) 定義からではなく、直観によってモダニズムを認識していこう。
- モダニズムは、建築と舞踏を除いて、フランスに始まる。
- (p50) モダニズムが最初にあらわれたのは、フランス文学である。そこには自然主義があった。
- 芸術のための芸術と、自然主義とは対立しない。
- (p51) 現象としてのモダニズムの到来は、1860年代のマネである。そこには、宣言・綱領はない。モダニズムは、技術によって存在を明示した。
- (p52) 衝撃は媒体の処理に関わる。マネに続く印象派でも、絵の具の使用法に衝撃があった。
- あらゆる芸術で、媒体に関して生じたことが、モダニズムの起源を確定するのに、もっとも重要である。
- (p53) 散文小説では、媒体について刷新・革新は、あまり必要でなかった。
- 絵画が最初のモダニズム芸術となった理由は、絵画の媒体が孤立させやすかったためである。
- (p54) 彫刻はモダニズムへの参入が遅れた。19世紀に活気を失っていたためである。
- (p55) 手段と目的に関する、モダニティの意識から、芸術のための芸術が進展した。
- モダニティが、芸術のための芸術とともに、挑発的に刷新を迫ったのか?
- (p56) モダニズムが衝撃を与えたのは、エリートに対してである。モダニズムに対する抵抗も、新しいものである。
- モダニズムは、伝統の委譲を目指している。ただし、建築は例外で、突如として、新しい伝統を始めた。
- (p57) 委譲の事実が、モダニズムへの抵抗を説明する。
- BC4~6cに、ギリシャ・ローマの絵画は、ビザンチン芸術に変化するという創造的な委譲を経験した。このときにも、絵画は平板になった。
- (p58) ビザンチンへの委譲が受け入れられたのは、委譲が緩やかなため。これに対して、モダニズムに関する委譲は急速であり、抵抗を激しくした。
- (p59) ルネサンスに固執する芸術が、モダニズムへの抵抗に関係している。
- モダニズムのものとあらゆる芸術には、ビザンチンにはない、創造的な委譲があった。
- (p60) モダニズムの刷新の理念は、重要ではない。
4 原文要約 『モダニズムの絵画』 (Modernist Painting), 1960
4-1) 1節,p62 (導入)
モダニズムは、芸術と文学には限られず、文化全般に広がりを持つ。特徴的な傾向として、自己批評(self-critical tendency)がある。
4-2) 2節
モダニズムの本質は、その領域の批判に際して、当該領域の方法を使うことである。
4-3) 3節,p63
モダニズムは、内側から、いいかえれば、対象となるものの手順に従って批判を行う。
4-4) 4節
芸術の質の維持は、芸術体験の価値と、それが芸術以外では得られないことを示したからである。
4-5) 5節 (結論 1)
芸術の各領域は、固有性を芸術一般としてではなく、当該領域の固有性として示さなければならない。
4-6) 6節,p64 (結論 1)
固有性は、ジャンルの媒体(medium)の性質にかかわっている。自己批判の作業は、他のジャンルからの借用を除去することになった。これによって得られる「Purity」が質を保つ。
4-7) 7節
絵画のmediumを構成する制限(limitation)は、古くは否定的なものとして解されたが、モダニズム絵画では、肯定的なものとされた。 eg) マネ、セザンヌ
4-8) 8節,p65
絵画の固有性は、平面性(flatness)にある。このため、モダニズム絵画は平面性を強く指向した。
4-9) 9節
昔の絵は、絵である前に、描かれたものが目に入る。しかし、モダニズム絵画では、まず絵として見える。これは、モダニズムにおいて必須となる見方である。
4-10) 10節,p66
モダニズム絵画が排除したのは、対象の再現(representation)ではなく、物が存在しうる空間の再現である。
4-11) 11節,p67
彫刻性への反抗は、モダニズム以前にさかのぼる。19世紀半ばには、反彫刻的な方向に、流れは集まっていった。
4-12) 12節
印象派が反彫刻的な方向をとった理由は、色彩ではなく、純粋に視覚であった。
4-13) 13節,p68
他の規範(norm)についても、モダニズムは検討を加え続けている。
4-14) 14節,p69
絵画にとって不可欠な規範(norm or convention)とは、絵画として認識されるための条件(limiting conditions)ともいえる。モダニズムが見つけたのは、絵が絵でなくなり、ただの物になるぎりぎりまで、この条件を緩和できることである。
4-15) 15節
古いマエストロは、絵の中に入り込む空間を作ったが、モダニストの場合、外から中をのぞき見ることしかできない。
4-16) 16節,p70
視覚芸術は視覚的経験にのみよるべきだ、という考え方は、科学的一貫性と同じである。
モダニズム絵画が科学と同じ文化傾向をもっていることは、歴史的事実としてきわめて重要である。
4-17) 17節,p71
モダニズムの芸術は、programmaticなものではなく、個人の創作を通じたものである。
4-18) 18節,p72
モダニズムの芸術は、過去との連続性を保っている。
4-19) 19節,p73
モダニズムの芸術は、理論を展開(theoretical demonstration)するものではない。理論を経験の世界で検討するものである。
4-20) 20節,p74
モダニズムを新しい芸術の幕開けと喧伝するのは、批評ではなくジャーナリズムの領域である。この期待は、裏切られる。
4-21) 21節
モダニズムの芸術も、過去の芸術との連続性の上になりたっている。
5 原文要約 『アヴァンギャルドとキッチュ』 (Avant Garde and Kitsch), 1939
5-1) 1章 アヴァンギャルド(Avant-Garde)について
- ある形式が受け入れられなくなると、芸術家は、それまでの観客との約束事を一変させる。
- このなかで西欧ブルジョア社会はアヴァンギャルド文化を生み出した。
- アヴァンギャルドは、政治的な革命思想と無縁ではない。
- しかし、政治から距離をとり、絶対的表現を求めるようになった。
- 絶対性の追求は、抽象芸術に行き着く。そこでは、意味・原典などから自由で、自律性が求められた。内容は、形式に解消された。
- 模倣の対象は芸術自体の規範に移った。これが「抽象」の起源である。関心は、主題から媒体(medium)になった。
- 関心は、空間・面・形・色などの発明や構成そのものになった。表現されたものよりも、表現のための表現が重要となった。
- アヴァンギャルドは、克服する対象であったアレクサンドリズムと表裏であるが、他方が静的であるのに対して、動的である点が異なる。
- アヴァンギャルドは、社会のエリート層によって支えられていた。しかし、エリート層の弱体化はアヴァンギャルドをも弱体化する。
- アヴァンギャルドは、商業的・学術的に成功しているように見える。しかし、アヴァンギャルドが依存していた層は不安定になっている。
- アヴァンギャルドがおちいった危機は、何を意味するのか見ていこう。
5-2) 2章 キッチュ(Kitsch)について
- アヴァンギャルドと軌を一にして、キッチュが現れた。
- キッチュは産業革命の申し子である。
- 文化はliteracyと深く関係していたが、universal literacyにより、関係性がなくなった。
- キッチュは、都市大衆のために作られた、代用文化である。
- キッチュは、本物の替わりであり、にせものである。
- キッチュが成立するには、本物が身近になければならない。そこから借用する。
- キッチュは、我々の生産システムに不可欠となっている。
- キッチュが生む利益は、アヴァンギャルドすら魅惑するが、害悪である。
- キッチュは、国境も越え、最初のuniversal cultureを名乗る。
- 大衆の芸術に対する態度は、教育によって影響されるという人もいる。
- しかし、かかるconditioningでは、キッチュの優位を説明できない。
- 芸術の価値には歴史を超えて了解があったが、キッチュはかかる了解を消し去る。
- 芸術に無知な者の認識は、生活での認識との共通性による。
- ピカソは"cause"を描くのに対して、レーピンは"effect"を描く。消化しやすいように加工している。
- 文学も同じ。直接性(immediacy)が鍵をにぎる。
5-3) 3章 芸術と社会のなかにある二項対立
- アヴァンギャルドはプロセスを模倣し、キッチュは効果を模倣する。前者には少数派の権力者・教養人がつき、後者には搾取されている貧者・無知者がつく。
- 階級の間の矛盾を融和させている社会では、こうした二項対立はあいまいとなる。
- 中世では、主題は注文者が与えるもので、芸術家はmediumに集中する。彼にとっては、mediumが芸術の内容となる。
- ルネサンスですら、写実に優れる以外に、評価の基準はなかった。
- 模倣が一般人の認識とずれると、受けなくなる。ただ、それに対する不満を口にするのは、社会に対する不満が表面化した段階ではじめておきる。
5-4) 4章 政治によるキッチュの利用
- キッチュを見るのに努力はいらない。大衆のための芸術というのは、デマゴーグでしかない。
- キッチュは、全体主義の政治体制が、大衆に迎合しようとする手法である。
- ナチスも、アヴァンギャルドを自己に利用できると思ったときは、受け入れていた。
- ムッソリーニも、モダニズム建築を建てたが、その後、イタリア大衆の趣味への迎合が有利だとわかると転身した。
- 資本主義は、上質の文化が自らの脅威となることを知っている。