美術評論演習 レジュメ

§ ピカソ論1 「記号の循環」,R.Krauss

1 コラージュの解釈

1-1) 問題の所在

1-2) 「記号の循環」を読むための予備知識

文言を追っていくだけでは、この評論を理解することは困難である。理解のためには、いくつかの予備知識が必要となる。そのいくつかを、下に例示する。

1-2-1) マラルメの詩、「賽の一振り」
1-2-2) 詩人 アポリネール (公式サイト
1-2-3) ドストエフスキー
1-2-4) フェルナンド・オリビエ (ピカソの最初の愛人)

ピカソは2度結婚し、何人かの愛人をもっていた。彼女らの名前は、絵のタイトルにも登場するし、ピカソ理解に有用な情報となる。

@ Fernande Olivier, A Eva Gouel (Marcelle Humbert), B Gaby Lespinasse, C Olga Khokhlova(妻), D Marie-Theres Walter, E Dora Maar, F Francoise Gilot, G Jaquline Rogue(妻)

1-2-5) ピエール・デクス
1-2-6) 詩人 ガートルード・スタイン
1-2-7) アンドレ・ジッド、「贋金使い」 

2 クラウス説の論証カード

上では、原文をパラグラフごとに要約してみたが、さらに論点をしぼると、次のようにまとめることができる。

2-1) ピカソのコラージュに対する、記号論的解釈

では、クラウスがピカソのコラージュを、どう読み取るべきだと言っているのであろうか。大きくまとめると次のようになる。

3 原文要約 「記号の循環」

1・2 節

ピカソのコラージュを、空中につるされたカットグラスがキラキラしている情景のように、視覚的な意味が散乱する視覚的なものとして表現している。クラウスは、視覚的側面から視点を変え、文字を読み始める。記事を、あちこちから聞こえてくる「声(sound of voices)」として聞く。

3 節

"Violin"(左図,1912)を例にとって、視覚的側面からの説明している。クラウスが注目するのは、二重性である。具体的には、バイオリンの渦巻きの右側面と左側面が、ひとつの面に描かれ、f字孔が大小異なる大きさで描かれている。また、ひとつの新聞紙面を二つに切り離したものを、逆に貼り合わせるだけで、空間とバイオリンの表面という、図と地の関係を作っている。そして、二重性は、視覚についてだけでなく、記号の意味論的側面にも拡張される。

ただ、二重性が強調された理由を、クラウスは、「奥行き(depth)」の表現にある、と解釈する。ただ、クラウスの関心は、異なる次元の「奥行き」に向かう。

コラージュされた新聞記事は、バルカン戦争の報告である。人が読むことができるレイアウトであることを重視する学者は、これをピカソが、他人の言葉を借りた「主張(statement)」、と解する。

4 節

クラウスは、ピカソのコラージュが、意味をきらきら反射させて回転する、シャンデリアのようだという。また、マラルメの詩"Un coup de dés(さいころの一振り)"への暗示も指摘する。たしかに、これは、同じ音となる"Un coup de théと読めるように、カットされていることからもわかる。

 

"Bottle on a table"(左図,1912)について、議論は進む。

まず、視覚的な効果として、新聞紙で作られたL字形に注目する。縦軸の下にある円と合わせて見れば、縦軸を軸とした回転体、すなわち、ボトルの表現となる。二次元の紙の上で奥行き方向を示す表現ともいえる。

視覚的効果について論じた後、クラウスはやはりコラージュの文字に目を移す。

現代美術研究のレイトンは、次のように解釈する。すなわち、新聞の経済面がコラージュされているのは、戦争のニュースと株式市場の密接な関係を示唆するためである。そして、カフェの生活ですら、世界の出来事に左右される不安定なものだ、ということを示唆している。

しかし、クラウスは、レイトンの解釈をはっきりと批判はしないが、肯定的な態度も示さない。クラウスの議論の進め方は、まるでピカソのコラージュの多義性をまねるように、明解なYes/Noを下すことを避け、どっちつかずのペンディング状態を繰り返しながら、議論を先に進めていく。

5 節

今度は、"Glass and Bottle of Suze"について、議論を進める。これまでと同様に、ひとしきり視覚的効果について論じる。が、クラウスの関心は、記事内容にある。

このコラージュについては、ピカソと友人が、カフェのテーブルで、政治や戦争について語り合っている会話の状況を示すものだ、という解釈がある。周りの新聞記事が会話を示し、記事の選択はピカソの立場を示している、というのである。新聞には、元来、中立性を担保するために、情報を断片として提示するが、背景には支配的な主張が隠れている。ピカソは、絵画というシステムを用い、かつ、キュービスティックな手法で、再構成しようとしたのだ、という。

 

ここで、クラウスは一転して、バフチンのドストエフスキー論を援用する。

バフチンは、「ドストエフスキーの詩学」のなかで、小説家一人の思想に収斂するのではなく、登場人物ごとにある視点の重層を認める解釈によってはじめて、ドストエフスキーの革新性が読み取れるのだ、というポリフォニー論を主張した文芸評論家である。

まず、クラウスが注目したのは、バフチンが、単一の視点によってドストエフスキーを解釈すること(monological form)を、繰り返し批判する点である。

バフチンの批判する、単一視点に収斂させるモノローグ化には、二つのやり方が見られる。ひとつは、小説の中の様々な主張を現実世界の反射だとする解釈であり、もうひとつは、異なる主張を通して、その作者が主張しているのは何かを見つけ出そうとする解釈だという。バフチンの議論によれば、ピカソのコラージュを、カフェでの会話の写し絵とか、ピカソの思想表現と見ることは、否定されることになる。

次に、クラウスが注目するのは、「対話主義(dialogism)」である。

ドストエフスキーは、対立を常に意識しているという。登場人物にしても、考え方にしても、二項対立を設定することで、単一の結論へ収斂することを避ける。ピカソに話を戻せば、一つだと思っていた意味が、表と裏のように、二つに分かれて回転する。一つだと思っていた声は、二つにダブって聞こえてくる、という。

6 節

"Siphone, Glass, Newspaper, Violin", "Bowl with Fruit, Violin and Wineglass"、という二つのコラージュが議論される。様々な声が、コラージュの中に盛り込まれている。ところが、それぞれの世界は独立している。

クラウスは、アポリネールの詩のような特質があると、クラウスはいう。すなわち、会話がなされていることはわかるが、特定の情報・議論・思想などへ、焦点を結ばない言葉のやりとりである。

7 節

"Au Bon Marché"(左図,1913)を例にとって議論を進める。視覚的な側面について、注目しているのは、Au Bon Marcheと書かれた箱の深さである。正面と側面の長さが異なるため、大きさが確定できない。これとの関連で、白く切り取っている部分と、「ここが、穴」と読める活字の意味に、関心を拡げていく。

この節は、コラージュをなぞるかのように、議論のテーマがあちこちに飛ぶので、少々理解しにくい。

大ざっぱにまとめると、クラウスの指摘したいことは、次のようなこととなる。すなわち、このコラージュに現れているのは、明確な意味・目的をもたない記号の群れである。無目的性は、会話で顕著である。会話は実利性から離れ、「社交性(Sociability)」だけを示す。

このように解するために、クラウスは、一人で複数のペンネームを使って、「最新流行」という雑誌を作ったマラルメや、ピカソの愛人であるオリビエの趣味、社会学者ジンメルの「媚態と売春」の区別に関する議論を、間接証拠としておりまぜる。

8 節

"Bottle of Vieux Marc, Glass, and Newspaper "(左図,1913)、"Bottle and Wineglass "(1912)を、議論の対象とする。

コラージュの解釈には、様々な可能性があるが、少なくとも、クラウスは、コラージュの要素が、現実世界の何かを現しているという、ミメーシス的(mimetic)な読み取りを、モノローグ化だとして否定する。

また、日常の材料を使うコラージュが、美の永遠性などを目指す高級芸術に対する反抗だとする見方に対しては、ピカソ自身の言葉を引用して、否定的に扱っている。

しかし、ピカソ自身は絵画の永続性に関心がなかったという、ガートルード・スタインの言葉を引用して、これを否定する。

クラウスは、「金」をキーワードとして議論を進める。

まず、ピカソのコラージュのなかの「O.R.」という活字。さらに、高級芸術への反語としての大衆的材料という文脈で、永遠性を意味する「金」。そして、「金」をテーマに批評詩を書いたマラルメ、ジイドの小説における贋金。

ところで、抽象主義の勃興を金本位制の崩壊と結びつける説がある。たしかに、記号は指示内容と直接のリンクを、もはやもたない。しかし、記号はそれ自体の物質性をもち、予想もしないリンクをもちうる。

デリダ的な言い方をすれば、金"Or"という語は、金という意味から離れて、方々に飛び散る可能性をもつ(dissemination)。そして、飛び散った語・音は、意味を再刻印し続ける。ピカソが、コラージュにおいて、美的な「金」を生み出したのは、織り込み(fold)と再刻印(re-mark)の操作なのである。

 

最後に、"Guitar, Sheet-music and Glass" (1912)をとりあげている。

「戦いは始まった」という、新聞の文句が何を意味しているか、についての解釈が紹介される。文字通り、バルカン戦争という意味とは別に、油絵などの高等美術に対する戦い、分析的キュービズムに依然として存在する伝統的表現システムへの戦いだという見解もある。

しかし、ピカソ自身の戦いを意味するという見解もある。それは、同年のSection d'Or(別名、ピュトー派、Puteaux Group)展覧会を指し、なかでも詩人アポリネールを指すというのである。

アポリネールは、このグループに賛同し、ピカソ・ブラックより若い世代に支持を向ける。また、アポリネールは、ピカソの嫌悪する未来派への支持も表明していく。

未来派への嫌悪ばかりでなく、ピカソには愛人のフェルナンドとの私生活上のトラブルも重なってきた。そして、自分自身がゴシップとされることを心配するようになる。

 

コラージュのなかで、ピカソは、言葉を発する主体としてだけでなく、話の対象たる客体ともなる。ピカソの声は、分岐している。それに、他の声が重なる。必要なテキストは、ごくわずかで足りるのである。