知的財産権入門 レジュメ

§ 憲法 2 −幸福追求権−

1 総 論

1-1) 条文

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

この憲法13条によって、幸福追求権が人権として規定されている。

1-2) 幸福追求権の意義

1-2-1) 幸福追求権とは

幸福追求権という概念は、あいまいで理解しにくい。宗教的な説教のように、「人は誰でも、しあわせになる権利があるのです」といっても、具体的なイメージはわかない。「オレは人を殺すと、しあわせな気分になる」という殺人狂に対して、人を殺す権利が人権として認められる、ことになるのであろうか。

そもそも、「幸福追求に対する国民の権利」、すなわち幸福追求権とは何か。この条文の意味を理解するには、文章を文字通り読むのではなく、立憲主義的憲法を生み出した、市民革命以後の人権宣言という法形式の成立をひもといてみる必要がある。これも法律解釈である。

1-2-2) 憲法史的な沿革

まず、「幸福追求権」という概念は、1776年、トマス・ジェファーソンによる、アメリカ独立宣言の冒頭に"Pursuit of happiness"という言葉として、見つけることができる。

"We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal; that they are endowed by their creator with inherent and [certain] inalienable rights; that among these are life, liberty, & the pursuit of happiness:"
「われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。」

ただ、ここでも、"pursuit of happiness"の意味は、具体的に説明されていない。そこで、人権宣言の基となった、ジョン・ロック(1632〜1704)の思想を見る必要がある。

ロックは、『市民政府論』(1690)のなかで、すべての人は、「生命、健康、自由または財産」に対する権利をもち、国家をこれらを守るためにのみある、と考えた。これらの権利は「自然権」とよばれる。そして、最後の「財産」が、より広い"pursuit of happiness"へと広がったのである。

ここで、「広がった」ということが、何を意味するのか考えなければならない。結論から言おう。「広がった」という意味は、国民に保障される人権は、ロックの考えていた「自然権」に限られず、ほかの権利にも広がりうるということである。この「広がり」が、幸福追求権の正体である。そして、この「広がり」を文章で規定したのが、下に示すアメリカ合衆国憲法・修正第9条である。

「この憲法に一定の権利を列挙したことを根拠に、人民の保有する他の諸権利を否定し、または軽視したものと解釈してはならない。」

そして、日本国憲法13条の幸福追求権は、アメリカ合衆国憲法・修正第9条に由来する。

以上のことから、13条の幸福追求権は、しあわせになる権利、という対象の定まらない権利ではなく、包括的人権の根拠となる権利、という意味を有する。

憲法は、14条以下に、具体的な人権カタログを規定している。しかし、すべての人権を文章化することはできないし、時代の変化に応じて、人権の内容は変化する。その場合にそなえて、人権を拡張する機能を有しているのが、13条の幸福追求権なのである。ここでのキーワードは、「包括的人権」である。

1-2-3) 保障の程度

条文上は、「幸福追求に対する国民の権利」と書かれ、これが「最大の尊重を必要とする」とされる。しかも、「公共の福祉に反しない限り」という条件がつけられ、「立法その他の国政の上で」として、適用される場面も限定されている。

この点、通説は、人権といえども絶対的な保障はされないのが原則だ、と考える。そして、「最大の尊重を必要とする」という13条の規定の仕方は、保障の程度として不安定さがあることを明文で意味しているとも解釈できる。

もっとも、明文によって、強い人権の保障が規定されることもある。

たとえば、奴隷的拘束の禁止を規定する18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とする。この規定には、例外はないと解されている。すなわち、奴隷的拘束の禁止という人権は、絶対無制限である(ちなみに、犯罪に対する刑罰としての懲役は、「奴隷的」ではないと解されているので合憲であり、徴兵制は「奴隷的」であると解されているので、違憲と解されている。徴兵制をつくるには、憲法改正が必要だというのが通説である。これに対して、軍隊は奴隷ではないと反論する、保守系の政治家は多い)。

1-3) 幸福追求権の具体的内容

1-3-1) 人権のインフレ化

幸福追求権は、それ自体としては具体的な権利内容をもたず、権利を拡張するときの根拠となるにとどまる。

事実、最高裁が13条を根拠として、新しい人権として認めたケースは、きわめて少なく、「肖像権」などにとどまる。なぜ裁判所が消極的かというと、何でもかんでも、人権という強い権利に昇格させてしまうと、本来重要なものだけを取り出していた人権という権利を、相対化してしまうおそれがあるからである。これを、「人権のインフレ化」というキーワードで表現する。

1-3-2) 人権として認めるかの基準

そこで、学説では、ある権利を人権に昇格させるか否かの判断基準について、二つの説がある。

1-3-2-1) 人格的利益説(芦辺説)

芦辺説は、個人の人格的生存に不可欠であるかで判断する。これは、人権のインフレ化を防ぐため、制限的に考える説である。

1-3-2-2) 一般的自由説(佐藤説)

佐藤説は、広く一般的行為の自由に関する自己決定についても、憲法上の人権と考える。保護も広いが、制限される場合も多く考え、バランスを取る。

2 各論−1 自己決定権 (最判平12年2月29日)

2-1) 事実の概要 (要約)

1 亡甲野花子は、「エホバの証人」の信者であって、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していた。

2 Aは、東京大学医科研に医師として勤務していた。医科研においては、外科手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、輸血を拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がないときは、患者・家族の諾否にかかわらず輸血する、という方針を採用していた。

3 花子は、悪性の肝臓血管腫との診断結果を伝えられた。輸血をしないで手術はできないとする病院を退院し、輸血を伴わない手術ができる医療機関を探した。

4 A医師は、がんが転移していなければ輸血をしないで手術することが可能であるから、すぐ検査を受けるように述べた。

5 花子は、医科研に入院、手術を受けた。同人、太郎は、A医師らに対し、花子は輸血を受けることができない旨を伝えた。

6 腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245ミリリットルに達するなどの状態になったので、A医師らは、輸血をしない限り花子を救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。

2-2) 判旨

「A医師らが、花子の肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、花子が、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待して医科研に入院したことをA医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、A医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、花子に対し、医科研としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、医科研への入院を継続した上、A医師らの下で本件手術を受けるか否かを花子自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。

ところが、A医師らは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、花子に対して医科研が採用していた右方針を説明せず、同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、A医師らは、右説明を怠ったことにより、花子が輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。

2-3) 検討

2 各論−2 どぶろく裁判 (最判平元年12月14日)

2-1) 事実の概要 (要約)

酒税法は第7条で、酒を造る者は、税務署長の免許を受けなければならない、とする。無免許で酒を製造した者には刑事罰が科される。免許の要件として、法廷製造数量があるため、自己消費目的のための種類製造は、事実上不可能である。本件被告人は、自分で飲むため、清酒等を自家製造していた。しかし、無免許であったため、酒税法違反として起訴された。

論点は、酒税法の規定が、憲法13条、31条に違反するか否かである。

3-2) 判旨

「酒税法は、自己消費を目的とする酒類製造であっても、これを放任するときは酒税収入の減少など酒税の徴収確保に支障を生じる事態が予想されるところから、国の重要な財政収入である酒税の徴収を確保するため、製造目的のいかんを問わず、酒類製造を一律に免許の対象とした上、免許を受けないで酒類を製造した者を処罰することとしたものであり、これにより自己消費目的の酒類製造の自由が制約されるとしても、そのような規制が立法府の裁量権を逸脱し、著しく不合理であることが明白であるとはいえず、憲法31条、13条に違反するものでない。」

3-3) 検討